聖書協会が来年刊行するとしている訳のパイロット版を読みながら、思ったこと。「是々非々で行く」という言葉について。
是は是とし、非は非とするのは、当たり前のことで、日常的にしていること。それを、わざわざ「是々非々」と言うのは、「全面的に賛成はしていない」「批判すべき点がある」という以上に、「反対だ」「認めるべきではない」と言っているように思う。
何に違和感を抱いているかというと、「基本的に反対」という立場を、「是は是、非は非」というような、中立的、客観的な言葉でごまかしていること。本当に「是々非々」なら、単に、賛成、反対の点を上げればいいだけだろう。
是は是とし、非は非とするのは、当たり前のことで、日常的にしていること。それを、わざわざ「是々非々」と言うのは、「全面的に賛成はしていない」「批判すべき点がある」という以上に、「反対だ」「認めるべきではない」と言っているように思う。
何に違和感を抱いているかというと、「基本的に反対」という立場を、「是は是、非は非」というような、中立的、客観的な言葉でごまかしていること。本当に「是々非々」なら、単に、賛成、反対の点を上げればいいだけだろう。