2018年1月17日水曜日

日本語聖書の発行

昨年『新改訳2017』が出版され、今年末には『聖書協会共同訳』が出版される予定だ。
「聖書協会共同訳」冊子をまとめれば、特徴は次のようになるか。http://www.bible.or.jp/transl_w…/…/new_project/kyoukai02.pdf
1. 共同訳事業の継続(新たな翻訳であると同時に、過去の和訳聖書の歴史と業績を「大切にする」)
2. 日本語の変化に対応(現代の言葉を用いる、差別的表現を避ける、包括的言語)
3. 簡潔で締まった日本語を(「礼拝にふさわしい」ことを「目的」する)
4. 新しい聖書学の成果を生かす(新しい底本、写本研究、聖書考古学、植物学、動物学含む)
5. 原典に忠実(伝統的な訳を見直す)
6. 旧・新約の訳語を統一(「旧・新約を貫く救いの計画」)
いのちのことば社が開設しているホームページをもとにまとめれば、『新改訳2017』の特徴は次のようになる。http://wlpm.or.jp/actibook/seisyo/
1. 『新改訳』の改訂(今後も改訂を続ける)
2. 日本語の変化に対応
3. 聖書学の進歩を反映
4. 原典に忠実
5. 朗読に適した読みやすい日本語(文学類型にふさわしい訳文)
6. 聖書信仰(同時に、特定の神学的立場を反映する訳出を避ける)
同じような特徴が書かれているが、訳は違う。箇所によっては、全然違う。「原典に忠実」、「自然な(よい、格調高い、締まった……)日本語」などの理解が違うから。読み手=訳者=編集者のテクスト理解が異なるから。
私としては、どちらの訳の説明にも、矛盾する「特徴」が、平然と並べられているのに興味をそそられる。
説明パンフレットについては、『新改訳2017』のものの方が分かりやすいように思う。

内容には全然関係ないが、どちらも「自画自賛」的な調子があって、気になる。今のご時世、こうしないと、「宣伝」にならないのだろうが、好きでない。

2018年1月4日木曜日

駆除するのは

池の水を抜いて、掃除をするというのは悪くないと思っていた。ついでに、外来生物を駆除して、絶滅が危惧される在来種の繁殖を促すのも、やってみる価値のある取り組みだと思っていた。でも、番組を見ながら、ふと不安になった。進化論が「社会進化論」となったように、この「外来種」駆除が思想となって、人間にも向けられるのではないかと。「純粋な」〈日本人〉だけを残し、守ろうとならないか。アイデンティティの危機に、このような排除の論理が現れることは、ヘブライ語聖書にも書かれている、共同体の「性」のようなものだから(エズラ記・ネヘミヤ記参照)。そこへ環境省の役人たちが参加し、この時点でチャンネルを変えた。
もちろん、「在来種の保護」が環境省のミッションであることは理解できる。しかし、一民放テレビの番組に、働きかけがあったとはいえ、賛同し、参加するのはいいことなのか。
これまでの番組で「水を抜いた池」の追跡もやっていたが、そこで気になったのが、池の清掃を依頼した人や住民たちが、「一番よかったことは、共同体の絆が強くなったこと」のような発言をしていたこと。池の生物とはいえ、「排除」がきっかけで共同体がまとまるというのは、象徴的なように感じた。