2016年1月9日土曜日

重なりの深さ

1月4日の「朝日俳壇」にあった俳句が心に残った。

一葉づつ重ねて深き落葉かな(仙台市)村上幸次

山深い林を思い浮かべた。雑木林の地面は一面、落ち葉で覆われて、柔らかく、優しく、あの独特の甘い香りに満ちている。
しかし、そこに積もっている落ち葉は、そうなろうとしたわけではない。一葉一葉はただ落ちて来ただけで、その重なりが、今の「深さ」を形成したのだ。
私がすることも同じだと思った。これまでしてきたこと(しなかったこと、できなかったことも)ひとつひとつが重なって、今の私を形づくっている。意識したものもあれば、意識しなかったものもある。しかし、どれも、小さなことだ。
ならば、私がする小さなことを、誠実に、真摯に行って、その重なりの深さを、より柔らかく、優しいものにしたい。そして、重なった落ち葉の下の方は分解され木々の養分となるように、私が関わる人の何か—力か、慰めか、励ましか、喜びか—になるようにしたい。
この俳句に、そんなことを思わされた。