2009年12月28日月曜日

危険かもしれない

完全に休日(年末年始)モードに入ってしまい、ごろごろと転がってテレビを見ていた。

「ガリレオ」(フジテレビ系列)が特別番組で放映される「番宣」で、「ガリレオからの挑戦」なる番組をしていた。内容は、「実験」で、「太陽光はどんなものを燃やすことができるのか」「砂風呂に10人一度に入ることはできるのか」「レーザー光線で盗聴できるのか」などを実験していた。
中でも、太陽光については、フランス南部の研究所まで出向き、最初は肉を「燃やし」、次に金を溶かし、ダイヤモンドを燃やす実験を行っていた。この研究所には、「国家機密」の部分もあるとのこと。

太陽光の利用については、日本でも計画があるらしく、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発している(詳しくはJAXAホームページを参照)。静止軌道上に設置された人工衛星で太陽エネルギーを集め、発電したり、エネルギーのまま、レーザー光線にして地上に送るという。枯渇しないエネルギーを効率よく利用する画期的な方法だろう。

しかし、フランスの研究所が「国家機密」を持っているように、この種の技術は軍事転用が容易である。いや、「転用」どころか、むしろ、軍事利用という目的が先にあってもおかしくない技術である。計画そのものに、宇宙で集めた太陽エネルギーを正確に地上に転送する技術が必要とされるのだから、それは、そのエネルギーをピンポイントで「目標」に「当てる」ことを可能にする。「杞憂」と思われるかもしれないが、頭上からいつでも照準を合わされている状態を生み出すのだ。

「レーザー光線による盗聴」も、すでにKGBが利用していたという噂があるという。「技術の進歩」を単純に歓迎できない要素がここにもある。利用方法に制限をかける条約や監視体制も一定の抑止力たり得るだろうが、「一定」でしか有効でないのは、核不拡散条約やIAEAを見ても明らかだろう。技術の開発と同時に、懸念を払拭できる「枠組」が求められていると思う。

2009年12月26日土曜日

シュッツ《クリスマス物語》


穏やかで、美しい演奏。
この後、クリスマスの物語が絵巻物のように繰り広げられる。

2009年12月25日金曜日

Wonderful Counsellor

イザヤ書9:5の欽定訳による訳語。ヘンデル作曲《メサイア》の歌詞でよく知られる。
この"counsel(l)or"という言葉を「カウンセラー」のことだとする解釈を聞くようになった。ここで預言されているイエス・キリストは、「驚くべきカウンセラー」であり、私たちに寄り添って、私たちが自分で問題を解決し、前進できるようにしてくださる方なのだ、というような解釈である。これは、カウンセリングという働きが認められてきた証拠であろうし、カウンセラー的な働きに対して期待が高いことを表しているのであろう。

ところが、ヘブライ語のyô‘ētsの原義からすると、この解釈はかなりの「飛躍」を含んでいると言わざるを得ない。
他の箇所でのこの語を見ると、「(ダビデの)顧問」(サムエル記下15:2)、「参議官」(エズラ記4:5)という訳語が当てられている。同じイザヤ書でも「参議」と訳されている(1:26、3:3、19:11)。つまり、王の政策に助言を与える「廷臣」のことである。
英語の"counsellor"も、「カウンセラー」がポピュラーになるまでは、「参議・顧問」という意味の方が主であった。

実は、この箇所は、原文の解釈が難しい。
Koeler & Baumgartnerが編纂した辞書では、この部分を

“who gave marvellous advice” or “a marvel of a counsellor”

と解釈している。また、アメリカのユダヤ教の翻訳Tanakhでは、

"The Mighty God is planning grace; The Eternal Father, a peaceable ruler”

と訳している。これらの解釈に従えば、ヤハウェの「参議」として通常の方法とは異なる統治をする、そのような存在として描かれていると言うことができるだろう。しかも、前後の文脈を見ると、この「男の子」は、戦争に勝利して即位することがうかがわれる(2〜4節。詩編2:7参照)。現代で言う「カウンセラー」のイメージを読みとることは、少なくともヘブライ語聖書からは難しいと言わざるを得ない。

とするなら、イエスを「カウンセラー」とする解釈は、ヘブライ語聖書の「預言」が「実現」したと言いながら、ヘブライ語聖書からは離れていることになる。ヘブライ語聖書と新約聖書、そして、現代の読者の間にある「ギャップ」は、読みを豊かにするものである。このことを認めた上で、どれくらい「本文」に固着するか、それからどれくらい自由になるか、それは解釈者にとって常に大きな課題であることを認識していたい。

2009年12月5日土曜日

普天間の代替地

必ずしも発言通りではないようだが、橋下大阪府知事が、普天間基地での平時訓練を関空や神戸空港に移すことについて、「『議論する』ことは否定しない」旨発言したらしい。

歯に衣着せぬ発言の多い人だけに、最初は驚いたが、よく考えてみると、「沖縄の負担を軽減する」とはこういうことである。「安全だ」「大丈夫だ」というのなら、大都会に近いところで行っても不都合はないはずだ。自分の住んでいるところに近いところに米軍基地があるのが困るのなら、沖縄の人々はもっとひどい目に、ずっと遭っているのだということに思い至らなければならない、と思う。

普天間を国外ないしは県外に移転したとしても、それは、最終的なゴールではない。根本的な解決は、日米安保条約の見直しを待たなければならない。最終目的をどう立て、どのような戦略を立て、どのような段階を踏んでいくのか。60年来の課題に取り組まなければならない。