2009年12月25日金曜日

Wonderful Counsellor

イザヤ書9:5の欽定訳による訳語。ヘンデル作曲《メサイア》の歌詞でよく知られる。
この"counsel(l)or"という言葉を「カウンセラー」のことだとする解釈を聞くようになった。ここで預言されているイエス・キリストは、「驚くべきカウンセラー」であり、私たちに寄り添って、私たちが自分で問題を解決し、前進できるようにしてくださる方なのだ、というような解釈である。これは、カウンセリングという働きが認められてきた証拠であろうし、カウンセラー的な働きに対して期待が高いことを表しているのであろう。

ところが、ヘブライ語のyô‘ētsの原義からすると、この解釈はかなりの「飛躍」を含んでいると言わざるを得ない。
他の箇所でのこの語を見ると、「(ダビデの)顧問」(サムエル記下15:2)、「参議官」(エズラ記4:5)という訳語が当てられている。同じイザヤ書でも「参議」と訳されている(1:26、3:3、19:11)。つまり、王の政策に助言を与える「廷臣」のことである。
英語の"counsellor"も、「カウンセラー」がポピュラーになるまでは、「参議・顧問」という意味の方が主であった。

実は、この箇所は、原文の解釈が難しい。
Koeler & Baumgartnerが編纂した辞書では、この部分を

“who gave marvellous advice” or “a marvel of a counsellor”

と解釈している。また、アメリカのユダヤ教の翻訳Tanakhでは、

"The Mighty God is planning grace; The Eternal Father, a peaceable ruler”

と訳している。これらの解釈に従えば、ヤハウェの「参議」として通常の方法とは異なる統治をする、そのような存在として描かれていると言うことができるだろう。しかも、前後の文脈を見ると、この「男の子」は、戦争に勝利して即位することがうかがわれる(2〜4節。詩編2:7参照)。現代で言う「カウンセラー」のイメージを読みとることは、少なくともヘブライ語聖書からは難しいと言わざるを得ない。

とするなら、イエスを「カウンセラー」とする解釈は、ヘブライ語聖書の「預言」が「実現」したと言いながら、ヘブライ語聖書からは離れていることになる。ヘブライ語聖書と新約聖書、そして、現代の読者の間にある「ギャップ」は、読みを豊かにするものである。このことを認めた上で、どれくらい「本文」に固着するか、それからどれくらい自由になるか、それは解釈者にとって常に大きな課題であることを認識していたい。