2009年7月28日火曜日

映画「ディア・ドクター」レヴュー

※映画の内容について触れており、「ネタバレ」があります。

映画「ディア・ドクター」を見た。

4年間無医村だったところに、3年半前に医師(笑福亭鶴瓶)が来た。その医者は、「神さま仏さまより、先生が一番頼り」と言われる存在になっている。
映画の前半で医師は「奇跡」を2つ起こす。1つは、息を引き取ったと思われた老人ののどに詰まっていた寿司を取り出し、蘇生させたこと。もう1つは、「緊張性気胸」で危ない状態にあった若者に適切な処置を施したこと。
しかし、最初のものは、臨終と思った医師が老人を抱き上げ、愛情込めて背中をたたいたことから起きた偶然であった。2つ目は、救急での経験が豊かな看護師(余貴美子)の指示に従って、処置をしただけだった。
ところが、これら2つの「奇跡」を目の当たりにした村人たちは「万歳」を叫んで医師を迎え、少し前から来ている研修医(瑛太)はこの医師を尊敬するようになる。

映画の中頃、独り住まいの老婦人(八千草薫)が畑で倒れ、往診に行く。ここから、物語が動き始める。
「貧血の原因となる症状を上げなさい」という医師の質問に、研修医は「消化器系のガン」を筆頭にあげる。最後には「痔」も上げているが、これは、後の医師の対応にヒントを与える。
昼間の往診を取り繕った医師は、夜になって女性を訪ねる。食事を振る舞われながら、大切な話しをする。村を出た娘たち(一番下の娘(井川遥)は医者となっている)に迷惑をかけたくないこと、おそらくガンで亡くなった夫とは同じ看取られ方をしたくないことを女性は語り、医師もそれを受け入れる。
女性の胃カメラ検査をし、生体検査の結果を見た医師は、女性との約束を守るために、医薬品会社の営業(香川照之)を代わりに仕立て、彼の胃潰瘍の胃カメラ写真を撮って、女性の診断を「胃潰瘍」だとする。

女性の娘たちが帰省し、医者になっている娘は母が飲んでいる薬を見て、胃潰瘍の処方がされていることを知る。帰る前に、彼女は医師の診断を確認しに来る。医師も、作り上げてきた「偽」の証拠を見せ、娘を納得させる。
「次に帰省するのはいつか」との医師の問いに、「1年後」と娘が答えたとき、医師は「すぐ帰ってきます」と言い残して、診療所を、村を出て行く。
途中で出会った医薬品会社の営業マンに、「胃ガン」を証明する証拠を委ねて。

医師の失踪は、捜査員を村に呼び込み、医師が無資格であった、「ニセ医者」であったことを暴いていく。

医師は、自分への尊敬を深め、春からこの村で働きたいという研修医(都会の大病院の院長=経営者の息子である)に、自分が「ニセモノ」であり、「資格がない」ことを告白する。しかし、研修医はそれを「資質」、ないし、「行動規範」のこととして聞き、自分の父親を批判する。これを聞いた医師は、それ以上の説明をやめてしまう。

医師が失踪する直接のきっかけになったのは、女性の娘だった。「ホンモノ」の医師が登場したことで、自分が「ニセモノ」であることがばれることを恐れたからというのは、当たっていないと思う。医師はすべての証拠を娘に委ねたのだった。
1年後にしか娘が来ないということは、女性の死に際にしか帰って来ない、それも間に合わないかもしれないということだ。それまで、女性の願いに応えて、一緒に「嘘」をつき、女性を「死なせる」(娘の言葉)ことを考えてきたが、「家族」が実際の存在として登場してきたときに、医師は、「医者」としての判断をしたのだと思う。つまり、できる限りの医療を受けさせ、必要なら延命治療を施すように(女性の夫が治療を受けていた、そして亡くなっていったときのように)、その主導権を娘に手渡したのだ。これは、現在の医療においては、一般的、常識的な判断である。その判断をしてしまったときに、現在の医療制度の「アウトサイダー」である医師は、この村で医師を演じ続けることはできなくなってしまったのだ。
そして、医師に「共犯」を頼んだ女性も、この医師と同じ判断、つまり、娘の勤める病院で診断と治療を受けることを承諾した。

医師は、夜の駅から、実家に電話をかける。認知症が進み、自分のことも認識できない老父に、父の診療用ペンライトを盗んだのは自分だったことを告白する(そのペンライトが父のものであることは、女性にも告白していた)。父への憧れと、医者になりたいという願望を達成できなかった医師が、その思いを述べ、そして、実現できなかったことを受け入れた瞬間だ。そして彼は、医者としてではなく別の方法で、女性の願い、「死なせる」=看取ることを決断する。女性も、自分の願いと約束が反故になっていないことを確信する。映画の最後のシーンを私はこう読みとった。

それにしても、この医師は、力を尽くして、診察し、往診する。そこには、自分の「共犯者」である医薬品会社の営業マンの業績を上げるために、必要でもない薬を処方するという目的もあったろう。しかし、彼がこなしていたのは、医師として求められている働きであるし、それ故に、彼はこの村で頼りにされるようになったのだ。
そして、診療・往診をしていない間は、常に学んでいる。医学部で学んでいないからなのだが、同時に、自分に要求されることに応え続けるためである。ことに女性の願いを聞いてからは「胃ガン」に関する勉強をし続ける。
つまり、「プロ」としての行動規範に則って生活しているのだ。だから、「ニセモノ」だという告白を聞いたときに、研修医はそれを否定した。彼の生活を見る限り、それは「ホンモノ」だったのだから。そして「ホンモノ」だったからこそ、「ホンモノ」の医者である娘は「ニセモノ」の医師を「先生」と呼び、「ホンモノ」の医者であるとはどういうことかを自問する(「あの先生なら、母をどう死なせたのか」。これは、「私はどうすべきか」という問いと同じ質のものであろう)。

捜査に当たる刑事の1人は、この一連の出来事に対する皮肉な見方を代表している。人の命に関わるという「高揚感」(営業マンの言葉)を「オナニー」と切り捨て、「ニセモノ」が「ホンモノ」の振りをしていたことを暴き出す。しかし、その努力によって明らかになったのは、「ニセモノ」が「ホンモノ」であったということだった。あるいは、「ニセモノ」が必死に「ホンモノ」の振りをしているとき、それは、限りなく「ホンモノ」に近づいているということだった。

この出来事の舞台となっている村は、本当に美しい。「現役を引退したらこんなところに住みたい」と思わせるところで、刑事の1人も、そのように言う(件の刑事は、それも「迷惑」と切り捨てる)。しかし、高齢者が「半分」で、「ニセモノ」でもなければ、そして、2,000万円という高額の報酬でもなければ、医者は来ない(これも件の刑事の言葉)ような場所となっているのは事実なのだ。
ところが、そこに住む人々のつながりは何とあたたかく、人々の表情は何と穏やかなことか。「ニセモノ」の医師はそこに自分の居場所を見つけ、そこにうまくはまり込んだ。そして、求められている「機能」を十分に果たした。研修医も、すぐにこの共同体の「先生」になった。棚田の広がる村には、「許容力」があると感じさせる。その「許容力」は、国家試験に象徴される医療制度にはないものだ。

私はアナーキズムを賞賛しているわけでも、精神主義を説きたいわけでもない。しかしながら、制度は硬直化するし、硬直化した制度故にアウトサイダーとならねばならない人々も存在する(過疎化・高齢化の進む村は、かつて社会の基盤であったのに、いまでは厄介者、アウトサイダー扱いされている)。そこに「人間味」が持ち込まれるとき、制度は息を吹き返す。ただ、アウトサイダーが制度と同じ思考・決断をしたとき、自らもその「人間味」を許容することはできなくなった。映画は、その悲劇を描いている。
医療制度をはじめとする日本の社会の問題について、静かに深く掘り下げる映画であるが、それだけでなく、「人間味」と制度の葛藤というさらに深い問題についても考えさせる佳作である。

映画については、公式ホームページを参照。

2009年7月21日火曜日

蓄積、あるいは、間テクスト性

キリスト教には「説教」という営みがある。アメリカでは牧師が"preacher"(「説教する人」)と呼ばれるくらい、牧師の役割において「説教」に対するの比重は大きい(と期待されている)。

しかし、「説教」という訳語がよくないと思う。「教えを説く」、つまり、聖書に記されていることの「正しい解釈」を「説き教える」ものと思われていて、説教者は「教師」となる。
また、この言葉は、いわゆる「お説教」、「訓戒すること。また、堅苦しい教訓的な話」(『広辞苑』)を連想させてしまう。「伝道地」であり、キリスト教徒が絶対的マイノリティーであり続けている日本においては、「説教」とは、キリスト教の教えを(多分に倫理的に)解説し、改宗へと導くものというイメージが定着してしまっている。
そして、最大の問題は、これらのイメージが、キリスト教外部や聞く側からのものだけでなく、「説教する」側の自己認識にもなっている点にある。

あるテクストを基に何か話をするということ自体は、そんなに珍しいことではない。最近読んだ本や最近観た映画の感想なども、同種の営みだと言えるだろう。そこには、新たなテクストとの出会いがあり、それまでに蓄積されてきたテクストとの対話がある。新たなテクストが意味を見出されるだけでなく、古いテクストに対しても新しい意義付けが行われる。
この文脈に「説教」という営みを置いてみると、聖書のテクストと説教者というテクストの間テクスト的出会いがあり、新たなテクストが生み出され、そして、それが聴衆というテクストと出会うという、「連鎖的な間テクスト的読み」が行われていることに気付く。聖書テクストを読む説教者の「独自性」(ユニークな存在であること)に着目すれば、その読みが「絶対」でも「正解」でもないことになる。そうなると、説教で語られるべきは、「連鎖的な間テクスト的読み」の中へと聴衆を招くような内容であり、そして、その「連鎖」がさらに広がっていく(例えば、その「読み」に基づいて、社会や周囲の事柄を「読む」)ような契機を提示することだろう。

「説教」は、極めて間テクスト的な作業であると言えるだろう。そうならば、聖書テクストと対話する他のテクストがどのようなものであるかは、その作業の質を決めることになる。伝統的キリスト教のディスクールだけを相手とするなら、その読みは、新たなものを生み出さないだろう。読みが開かれていくためには、間テクスト的読みの相手となるテクストが蓄積されていかなければならないのだ。説教を語る者と聴く者の双方において。

2009年7月17日金曜日

驚きの発見

「ナザレの村里」(『讃美歌21』287)の曲、ST. PETERSBURGのボルトニアンスキー自身によるハーモニーを探していた。すると、次のような説明のページを見つけた。

http://www.kkovalev.ru/Bortniansky-eng.htm

正教の典礼のために書かれたのではなく、"Kol Slaven"という詩に付けられた曲らしい。
ドイツでは、テルシュティーゲンの詞、 "Ich bete an die Macht der Liebe"と組み合わされて歌われる。これは知っていたし、それを演奏したCDも持っている。

ところがそれだけではない。この曲は、ドイツ陸軍の"Großer Zapfenstreich"という儀式の最後に「祈り」と題されて演奏されるらしい。"Zapfenstreich"は「帰営ラッパ」という意味で、指揮官の退官の時などに行われるということだ。

YouTubeを探してみたら、その模様があった。

http://www.youtube.com/watch?v=CVZGHbctH34

この儀式については、『エロイカより愛を込めて』(青池保子)というマンガに描かれていて(34巻60ページ。ここでは、ドイツ連邦軍創立50周年記念式典として行われたものが取り上げられていた)、登場人物の一人がこの「祈り」に感激する場面があった(62ページ)。その中で、「曲目は『愛の力に祈る』」と、ドイツで歌われる詞もきちんと言われているのに、その「祈り」がST. PETERSBURGだということに気づかずにいた。

それにしても、このように神秘主義的な信仰の歌が、どのようにして、軍隊の儀式に取り込まれたのか。
ロシアの愛国的な歌が、どのようにして、ドイツでよく知られる歌になったのか。
そして、そのような歌が、どのようにして、英語圏で賛美歌となったのか。
発見の後には、新たな疑問が起きてくる。

2009年7月16日木曜日

ふさわしい/ふさわしくない

チェチリア運動(19世紀にドイツで始まった、典礼と音楽の改革運動)の時代、ハイドンやモーツアルトの教会音楽は、「世俗的過ぎる」と考えられていた。ハイドンやモーツアルトを批判する人たちはグレゴリオ聖歌やパレストリーナを「理想」としていたのだから、当然といえば当然の結論だろう。音楽から察するに、彼らにとって信仰や典礼は、「神秘的」で「厳粛」なものととらえられていたはずだ。これに対して、ハイドンやモーツアルトの音楽は、「開けっぴろげ」で「楽しい」。

「美しいもの」はキリスト教の本質ではないという議論は、かつてもあったし、今もなお、かなりの力を持っている。「質素」であり、「本質的」(つまり「形而上学的」ということか)であることが、キリスト教にとって決定的に重要だという議論である。これはプロテスタントvsカトリックの問題に置き換えられることもあるが、決してそうではあるまい。「美」を巡る評価の問題なのだ。

礼拝においてどのような「付属物」(礼拝堂、音楽、楽器など)が「ふさわしい」ものなのか。審美的な判断は、もちろん、重要である。しかしそれでは、単なる「好き嫌い」という感覚だけが働いてしまうこともある。単純に審美的でなく、神学的に考えられる場合もあるだろう。その場合でも、前提となるある認識が存在しているので、その前提の「是非」を問わない限り、「好き嫌い」と変わらないレベルの問題となってしまう危険性があるし、前提についての省察が行われることはあまりない。従って、そのことについて議論することさえできないというのが、しばしば遭遇する状況である。「ふさわしい/ふさわしくない」というもっともらしい議論も、開き直ってしまえば、みんな「好き嫌い」に基づいているのだ。

今日、カトリック教会の典礼において、モーツァルトの教会音楽は一定の復権を果たした。モーツァルト自身は嘆いていたことであるが、啓蒙主義的な大司教によって典礼の時間が、従って、音楽の演奏にかけられる時間も、制限され、モーツァルトは「短く」教会音楽を作曲しなければならなかった。その結果、彼の作品は、現代の典礼にとっても「適切な」長さとなった。
その分、ハイドンは分が悪い。初期のものを除いて、気前のよい領主が長いミサ曲を許容したから、ハイドンは生前、思う存分、手の込んだミサ曲を作曲することができた。その結果、今日ではかえって、典礼の中で演奏しにくくなってしまっている。何と皮肉なことだろうか。

ハイドン没後200年の今年、改めてその教会音楽を聞いてみると、そこには、大らかで朗らかな信念が響いている。「人生とは素晴らしいものだ」。ハイドンの作品を聞くとその「絶対的肯定」の言葉が聞こえてくるし、それこそ、今日において、キリスト教が語り続けなければならないメッセージであるように思えるのだ。

2009年7月11日土曜日

プラ・ド・フリュイ


少しだけ、待ち合わせまで時間があって、待ち合わせ場所に近いショッピングモールを歩いた。タルト系のケーキを売っていて、カフェもしているお店を見つけ、つい、ふらふらと入ってしまった。

「店内限定」と書かれた、「プラ・ド・フリュイ」を、紅茶と一緒にいただく。季節の果物をマスカルポーネ・チーズであえた絶品。
半分ほど食べて、「写真を撮っておこう」と思い至った。いつもそうだ。食べ始めるときには、食べ物のことしか念頭にない。
なので、「ざんない」写真になってしまった。

半分ほど食べて、まだこんなにある。ということは……。それは考えないでおこう。

2009年7月3日金曜日

主の言葉を聞くことのできぬ餓えと渇き

ある授業でのこと、「アモス書に基づく説教を聴いたことがあるか」との問いに、「ある」と応えたのは、20人近くいるクラスのうちわずか3人ほど。表題の言葉を思った(アモス書8:11)。

もちろん、この事態は、説教を聴く側の責任ではない。説教する側、説教のために聖書を読む側の責任である。ヘブライ語聖書は難しい、分かりにくい、だから説教では取り上げない。取り上げるとしても、よく知られた箇所だけにする。こうすると、聴く側は、ヘブライ語聖書は重要でないものと受け止め、読まなくなる。読まなくなるとますます、説教で取り上げることが難しくなる。ヘブライ語聖書を読まない悪循環が働いている。これでは、実質的にマルキオンと同じ立場である(マルキオンは、2世紀、ヘブライ語聖書をキリスト教の「聖書」から取り除くことを主張した)

また、ヘブライ語聖書を取り上げないことは、キリスト教会の現状を端的に表しているように思う。ヘブライ語聖書には、共同体の倫理の他、正義や平和といった問題が直接に取り上げられている(その扱い方の問題については、「ヘブライ語聖書日課を『読む』」で取り上げている)。しかし、日本の社会やその中に生きているキリスト教会は今、このような問題より、「個人の魂の救い」や「癒し」に大きな関心を寄せている。そのこと自体は大切なメッセージであるし、キリスト教は今日の社会に向けて、「心の平安」を伝えなければならないと思う。しかし、それだけでいいのか。

「私」は一人で生きている訳でないし、「私」が今日生きていることは世界とつながっている。「私」が本当に幸せになるためには、共同体や社会、世界の安全・繁栄と無関係ではない(エレミヤ29:7参照)。その間の関連を見つけられないでいる、実感できないでいることが、実は、この社会に生きる私たちが存在を確認できないでいるという問題の根幹にあるのではないか。そのように感じている。

このような状況にあるのに、神の「私」個人への「愛」をことさらに強調することは、私たちの存在そのものを矮小化し、その本質を見失わせかねない。このような方法で「癒し」を語ることは、本当に「救い」を語ることなのか。このような問いが突拍子もないものに聞こえることが、私たちの社会、そして、その社会に生きているキリスト教会の問題を表しているように思えてならない。